モャッパ!

生きにくいよを生きやすく

ゆるいフェミです

どうも、kagecageですー。

最近フェミニストに関する記事に名前を出してもらうことが増えて、思ったよりもフェミとして認知されているのだな~ヤッホホイ!と思ったので、この機にちょっとだけ、こんなゆるめのフェミニストもいるということを知ってもらおうかなぁと思います。

(フェミってなんかよくわかんないけど怖いんでしょ?と思っている人に読んでもらえたら嬉しい!すごいゆるいです!)

 

ちなみに自分のスペックは以下の通り。

・30代女オタク(雑食の腐女子寄りオタク。男向け女向け問わずえちえちなものが好き)

青年漫画が好き

・クリエイター職(表現規制等あればモロに影響出るんじゃ)

 

フェミとしての主義主張は以下の通り~!

・性別・所属集団に関わらず、全ての人が可能な限り同等の権利を持てるようにしたい(男女同権派)

・その上で、労働においては女性のビハインドが大きい(稼ぎたいと思っても結婚出産でキャリアが絶たれやすい)ので、その点を是正したい。(逆に育児をしたい男性ができる環境も整えたい)

・性については、「性加害」が何よりアウト。「性消費」については男女共に消費される側の合意があればOK。漫画等の「性的な表現」については基本容認で、正しく必要な知識が得られる「性教育」を拡充させたい。(ただし乳首と股間が隠れていても対魔忍みたいなおっぱいドドン絵が公共の場にあふれたら結構精神衛生にキッツいなーって感じなのでそのへんはちょっと気を遣ってほしい気持ちはあるな……!歓楽街とかはしゃーないにしてもせめて公共機関くらいはね!派)

みたいな感じです。

 

さて。

「フェミは一人一派」なんて言われていますが、実際そうだな~と思います。

 

例えば超極端な話、現在進行形で複数男性から性的な被害(セクハラとか痴漢とか)を受けている人であれば「男のセクハラをなんとかしてくれ!せめて奴らをムラムラさせるような性的な絵や写真を街中に置くのはやめてくれ~いい!怖い!」と切実に思いますし表現規制については、マジでお角違いな指摘をするフェミの人もいますが一旦置かせてもらえますと……)

子育てに旦那さんが協力してくれなくて悩んでいるのであれば「"子育ては女がするもの"という価値観を早くアップデートさせてほしいんじゃ~!死ぬわい!」と思いその部分の議論を進めたがります。

とかくみんなそれぞれの理由で、フェミニズムというものに関わっていくのではないかな~と思っています。

 

かくいう自分も、最初は「女に生まれると、顔と若さだけで社会的価値を決められすぎでは~?男は”稼ぎ”という努力で挽回できることを考えると不公平では~?」というめちゃめちゃありがちなところからフェミに片足を突っ込みました。(今はそのへんも整理がついて、男性は男性で”稼ぎ””仕事”というものにかなり縛られているなーと思います。このへんみんな苦しいよね……。)

 

というわけで、自分は他のフェミの方々の主張については基本ノータッチにしています。何せ、それぞれ抱える背景は違うので。

 

ただし、オタクや男性・性産業に関わる方への差別的発言や暴言を吐く行為に対しては断固NO!それはやってはいけないことだと可能な限り伝えるスタンスを取っています。

この手の社会運動で大事なのはみんなで幸せになれるように頑張ることで、遠回りだとしても、誰かと敵対より熱心に対話することが大事なことだと思うので。

(無論場合によっては抗議をした方が早く解消される問題もありますが。KuTooとか/石川さんは最初だけ支持してました……最初は……)。

 

……といったところで眠くなってきたので、次回はまた今度!

次回は、自分のようなフェミがどうやって生まれたのかをちょろちょろ書こうかなと思います。お暇でしたら是非~。

HUGっとプリキュアと「守られるもの」の力

今期プリキュア毎週楽しく見ております。

エンディングダンスも踊れるようになってきたので、そろそろ姪っ子の前でご披露といきたいところです。うまく踊れるか不安ですが、フレッフレッわたし!!

てなわけで、昨日からプリキュアが話題になってますね。

 

anond.hatelabo.jp

 

「男の子だって、お姫様になれる!」という言葉は、果たして呪いや欺瞞なのか?

ブコメ群を見ると、そもそも「お姫様」という言葉をみんな違う意味で受け取っちゃってるので、わけがわからなくなっているようです。

当然ですがここの「お姫様」が「王家の血筋をひいている女性で〜」みたいな意味であれば「そりゃなれんがな……」です。しかしまあ、あの話での「お姫様」がそういう意味ではないことは一目瞭然です。

それはそれとして、増田はお姫様を「受動的で、周囲から与えられられる結果でしか判断できない」「なので自分からはなれない」としています。

果たしてそれって正しいのかどうか。 

 

では、この話においての「お姫様」はどういう意味なのか。

ブコメの中には

"この話はファッションショー出演を巡る話で、「お姫様になれる」は綺麗な服でランウェイを歩く、くらいの意味しなかいと思われ。”

というものがありましたが、これはズレていると思います。

もしファッションとして「男の子もお姫様みたいに綺麗な格好をして歩いていいよ」という意味ならば、アンリくんは「既に」お姫様です。声をかけるとしたら「男の子だってお姫様だよ!」になります。

たとえばアンリくんが女性の綺麗な服を着ることをためらっている状態ならば、「お姫様になる=公の場で女性ファッションを着る」として、勇気を出せないアンリくんを応援しているセリフになると思いますが、アンリくんは既にランウェイを歩く覚悟ができています。周りに変だと言われる覚悟もできています。

自分で自分を縛らない生き方をすることを選んでいるアンリくんに、今更エールがファッション的な意味で「お姫様になれる!」なんて応援する必要はないのです。

 

ではここでの「お姫様」とは何か? 場面をを見てみると答えが出てきます。

 

・オシマイダーに襲われるアンリ。囚われて逃げ出せない。

アンリ『これ、ぼく、お姫様ポジションになっちゃってない?』

エール『いいんだよ! 男の子だってお姫様になれる!』

 

アンリくんはここで「お姫様」を「ヒーローに守られ助けられる、かよわい存在」という意味として使っています。

そして、ここが重要なのですが、アンリくんはそんな「守られる」自分を恥ずかしく思いごまかしたい、もしくは自嘲したい気持ちがあります。

普段のふるまいからするに、アンリくんは「自分を貫き、迷える誰かを導ける存在でありたい」のでしょう。

 

そんなアンリくんにエールは「男の子だってお姫様になれる!」と言います。

素直に受け取れば「男の子だって守られる存在になれる!」ということです。

でもこれ、ちょっと違和感がありますよね。

「お姫様だっていい!(守られてもいい)」ならともかく「お姫様になれる!(守られるようになれる)」は妙だと感じる人、少なくないと思います。

 

「守られるようになれる」って何だ?

「守られる」「助けてもらう」なんて誰にだってできることだろう、と。

ここをつきつめて考えていくとハグプリの本質、ならびに、あの言葉が呪いではないということが見えてきます。

 

 

ハグプリではかなり意識的に「守られるものの力」が描かれています。

イケてるお姉さんになりたい!と思っても失敗続きのはなは「はぐたんを守りたい」という気持ちでプリキュアに変身できるようになりますが、一方で、「自分には応援以外何もない」と自分の無力さばかり見つめてしまった10話では変身できなくなってしまいます。

つまり、はなは「守りたいもの」がないと何の力も出せないのです。

敵役だった時のルールーは、赤ん坊を守るプリキュアを見て「なんの力もない赤ちゃんをなぜ助けるのか」と疑問に思います。

しかし赤ん坊たちは守ってくれるプリキュアに無意識にアスパワワを与えてくれます。

そのように「守るもの⇄守られるもの」の間で力がグルグル循環してるんですね。

 

増田ではヒーローについて

「救った相手に足蹴にされたって、結果的に誰も救うことができなかったとしたって、誰からも称賛されなくたって、

ヒーローにはなれる。救おうと行動しさえすれば、その時きみはヒーローからだ。」

と述べています。

しかし、ほまれ回のはなは、ほまれを元気づけようと応援をしたものの届かず、むしろほまれを傷つけてしまいます。この時のはなの行動は、ヒーローの行動とは言い難いでしょう。

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”よかれと思ってとった行動が、その人にとっては何の役にも立たない。それどころか、追い詰めてしまう”、なんてことはよくあることです。

さらに増田では

「誰からお姫様として扱われず、自分けがお姫様だと主張する状況は、ただ悲惨であるという他ない。」

とも書かれていましたが、それはヒーローも同じです。

助けられたと思っている人が一人もいないのに「自分はヒーローだ」と主張しても、ただただ虚しいだけでしょう。

もちろん誰かを助けたいと思うこと自体は尊いです。ただ、助けたいと思って行動したとしても相手のことを考えない独りよがりで的外れな行動をしていてはせいぜい「おせっかいや」です。「守られた」と思う人がいて、やっとヒーローになれるといえます。

基本的に、ヒーローもお姫様も「人間との関係の中でうまれる役割」です。もし地球に一切の生命がなく一人きりだったらヒーローにもお姫様にもなれません。

お姫様の役割に他者の存在が必要なように、ヒーローにも他者の存在が必要です。

それこそが「受け取り手=守られるもの」です。

 (「自分を助ける」って考えもありますが、今回はちょっと脇においときますね。)

 

"「守られるもの」こそがヒーローに「守るもの」たらしめる力や勇気を与えてくれている”、ということをハグプリは伝えようとしています。

 赤ちゃんや女性は肉体の弱さゆえに「守られるもの」という役割を自然と与えられます。その一方で「守るもの」という役割はあまり与えられてきませんでした。

それをプリキュアシリーズははっきりと意識して改革し女の子に「守るもの」の役割をプレゼントしました。

そして今、肉体の強さゆえに「守るもの」にされがちな男性に「守られるもの」という素敵で大切な役割をプレゼントしたかったのではないでしょうか。

 

自立した、能動的な、ヒーローばかりが理想とされがちですが、もしもみんながみんな「守りたい!守られるのは弱くて嫌!」という人ばかりだったら、世の中は回っていきません。周囲からの助けを素直に受け取り、感謝し、明日を生きる力に変えていける受け取り手がいるからこそ、守る人も更に守っていくことができます。

 

「守られる」ことは立派な価値のある行動であり、だからこそ無力な赤ちゃん、病気の人、老いた人にも、生きる価値と力がある。

……とみんなが思えたら、社会ももうちょっと豊かになるんだろーなーなんて思います。

 

 さて!次回はルールーとえみるの変身回!プリハートは一つしかない!

 やっぱり互いのためを思って相手に譲ろうとするんだろうか……。自分の夢を抑えこんで相手の夢を叶えようとする二人の姿を考えるともう涙目……。

 

 

追記(2018.06.12)

www.byosoku100.com

 

家族に「かわいくない」「スカートが似合わない」と言われたことがあります。

男の子に「ブス」「キモい」「暗い」と言われたこともあります。

ネットでは「足の太い女がミニスカをはくな」「ブスの化粧は正直不快」「ブスには人権がない」なんて言葉があふれています。

昔の自分はこういった言葉を受け止めて、周囲の人をイライラさせないように、ブスならブスらしく地味にしていなければいけないんだ、と思っていました。

着てみたい服があっても可愛い子のように似合わないと悲しくて、試着することすら嫌になって、適当に服を買っていました。

だからとても美人が嫌いでした。生まれ持った「綺麗」だけで好きな服を着て、周りからチヤホヤされて、ありのまま伸び伸びと暮らせる。

美人がそばにいるとそれだけで自分が惨めな存在と思えました。

 

でもそれって10話のはなちゃんと一緒だったのです。

自分にないものばかり探し、自分にできることを見失って、可能性を閉ざしていました。

周りの人の声に耳を傾けるようになって、自分が周りより色白で肌が綺麗なこと、スタイルがそんなに悪くないこと、ニコニコ笑うと可愛いといってもらえることに気づけました。そして今は自分の着てみたい服、似合う服をちゃんと探せるようになっています。

 

先ほどの増田も、上記ブログの筆者は、とても昔の自分に似ていると感じました。

「醜い」「容姿が劣っている」人に、「お姫様になりたいという希望を抱いても醜い人はなれないんだよ、周囲が許さないし、笑われるし認められないんだよ」と、変身できるかもしれない可能性を奪ってしまっています。

ただ、その根本には、現実に容姿で辛い体験をした悲しみがあるのだと思います。

実際に、昔の自分は、嘲笑や拒絶ばかり受け止めてしまったあげく、自分が言われて傷ついたはずの「ブスのくせに化粧なんてすると自意識過剰だって笑われるよ」「好きな格好ができるのは綺麗な人だけだよ」なんて、いつしか他者に言ってしまっていました。

 

確かに、身長が低ければモデルになれなかったり、病気を持っていればメジャーリーガーになれなかったり、そういったある種の基準をクリアできないことはあります。

なのでもし「お姫様」を必ず「一定以上の人数に美しいと判断されるもの」と定義すれば、醜い人はお姫様になれないでしょう。

 

でも、もし「お姫様」を「守りたいもの」と定義したとすれば、増田も上記ブログ筆者もすでに自分の「お姫様」です。

読むうちにこの人たちの感じている悲しみをなんとか和らげたいなという気持ちが湧いてきて、仕事をしててもトイレにいってもご飯を食べていても「なんか書かなきゃ、なんか書かなきゃ!」という思いがドバドバ出てきて、こうして下手くそな文章を打つことになった次第です。長文にがて。

まあこれもただのお節介なんだよな……。別に悲しく思っていないかもしれんしな……。

それでも、マメにブログも更新できない面倒くさがり屋な自分を突き動かして力をくれたという点で、やっぱりあの方々は「お姫様」なのだと思います。

 

 追記の追記

文中で引用させてもらったブコメのangmarさんからコメントが!ありがとうございます。

実際途中まで「お姫様」はファッションとしての意味で使われていたので、「全くズレている」という書き方は適当ではなかったですね。すみません。

ファッションショーの話ではありますが、今回は終始「縛られず生きる」「自分のしたい生き方を愛する」って主張に重きを置いているので、ルッキズムの観点で見てしまえばツッコミ放題になっちゃってるんだと思います。

 

ルッキズムの話がプリキュアのテーマになるにはもうちょっと時間がかかるかな……。

「容姿で相手のあり方を縛り付けるようなことをいっちゃいけないよ!」くらいは教えてあげてほしい気もするなあ。などと思ったり。 

 

 

正直モヤモヤするヨガ教室のこと

最近話題のヨガ教室について思ったことをつらつらと。

  

件のヨガ教室について、いくつか記事を読み、「経営者が元Vシネ系の女優さんだからって健全なヨガスタジオをキャバクラ呼ばわりするのはひどいのでは? スクープ狙いの雑なメディアの書き方はいかがなものか」と思っていました。

しかし、一次ソースにあたらないで色々書くのも何だな、とヨガ教室さんのホームページを見てみたところ、

 

渋谷・恵比寿のヨガスクール【PSY】出張も受付中

 

ホームページトップの動画が…………。

 

女の私からみても「これはセクシーでは?」「パーソナルメンズヨガか……」「セクシーなことを期待してしまうかも」という気持ちになってしまいました。

 

自分の視点に補正がかかってるのかな?と不安になって他のヨガ教室のPVなども見たのですが、大体はヨガのポーズやお店のシステムを紹介しているものが多く、

ややセクシー寄りのPVだな、と思われたLAVAさんやロイブさんは女性専用or男女を別々にわけてor女性の選択制のレッスンになっていました。(LAVAさんは男性講師による男性グループレッスンなども有るよう。)

 

加えて、トップメニューからいけるインストラクター紹介画面で、ずらーっと美女が並び誕生日、さらにスリーサイズ、趣味などがわかるようになっているのはどうも異質……。(他社さんを三つほど調べたところ、紹介ではヨガ経歴と一言メッセージ程度が普通っぽい。)

 

インストラクター|渋谷・恵比寿のヨガスクール【PSY】出張も受付中

 

 

これは男性にアピールを仕掛けているのでは……セクシー系では……。

 

もちろん「風俗店」「元AV女優」といった表記についてははっきりと間違っているので、まったくひどい被害を受けていると思います!

 

ただ「セクシーヨガ」という表記については「正直、近いのでは?」という見解を持ってしまいました。

なので、文春の記事について「勘違いされて困っている」というコメントを見ると、なんだかモヤモヤしたものが湧いてきます。

 

もちろん、「美女ぞろい」とうたって経営することは全然アリだと思います。

フーターズや、メイド喫茶などのように女性のセクシーさ・かわいさを売る商売など(もちろんAV女優なども)本人にやる気があるならばどんどんやって活躍していくのがいい、と思います。

 

 

また繰り返しになりますが、お店側は実際メディアによって「風俗店」といわれるような風評被害にあっていますし、そのことについては全く問題です。飛ばし記事を書いたリテラの謝罪は当然ですし猛省すべきと思います。

だからこそ、これからもがんばってほしいという気持ちでいたのですが……。

 

意図的に男性の勘違いを誘発しているところが少なからずあるよなぁ、少なくとも男性の下心については強く意識して運営しているだろうなぁ、と感じてしまい、こう、うまく言葉にできないのですが、めちゃめちゃモヤモヤしています。

純粋な気持ちで応援できないし、文春はひどい!という意見にも賛同しがたい……。責めたいとかそういうわけではないのですが。

 

(ちなみに自分の政治的な立ち位置は左寄りな方ですが、この問題については「あえて問題視するなら公用車での移動についてくらいで、プライベートで行ったお店がどんなところであっても良く、業務時間外に行くぶんにはいいのでは」という程度と考えてます。)

 

うーんむつかしい……。フェミとしては、風評被害を受けた女性を応援したいという気持ちもあるのだけどな……。

 

男性助産師はいつ生まれる?

前回、以下の記事を書いたところ、コメントで「まだまだ勉強不足」と男女間問題についての参考記事を教えてもらえました!まだまだフェミ初心者なのでまことありがたいです……。

 

kagecage.hatenablog.com

 

 

今回はその中の一つ、「男性助産師」について調べてみることにしました。ちょっと前に話題になってたやつです。

anond.hatelabo.jp

 

自分もブコメしたのですが、やっぱりこれはどう見ても男性差別……。

それを放置してるってどういうことなんだろう?と調べてみたところ、いろいろなことがわかってきました。

 

結論からいうと、想像以上に、男性助産師をめぐるバトルがおきていた!!!!(知ってる人は知ってるんだろうけど)

 

参考にしたのはこちらの「男性助産師是非論」。

https://ci.nii.ac.jp/els/contentscinii_20180316211003.pdf?id=ART0006465167

12ページくらいなのでちょっとがんばればすぐ読めますが、わりとかっちりした文章なので、わかりやすいようざっくり噛み砕いてご紹介。

 

 

男性助産師をめぐる議論、スタート

 

いまの看護職はおおきく看護師、保健師助産師、准看護師で構成されています。

議論のはじまりは1979年(昭和54年)。

当時、男性は、看護士になれても、保健士助産士(当時は保健婦助産婦のみ)にはなれませんでした。そこで千葉大学看護学部の部長が、「男性も保健婦の資格をとれるようにしてください」と要望を出します。

厚生省では、当時少子高齢化が進んでいたこともあり、資格対象の拡大の話はわりと好意的にうけとられすすめられたようです。

ここで、保健士の検討とあわせて「助産の資格はどうしましょう?」という話がはじめてでてきます。

1984年(昭和59年)には、三婦一本化ということで名前が男女あわせて「看護師」に。

「看護士は保健婦助産婦の資格をとれるようにしましょうね〜」という運動もスタート。

 

助産婦会の反対

 

ここで困ったのが助産婦たち!

看護協会は看護婦と准看護師がほとんどを占めていたので、助産婦の意見はなかったものにされてしまいます。

全ての患者が女性であるため、現場に男性を導入することに問題を感じていた助産婦たちは、「助産婦会」を設立。

1988年(昭和63年)、看護士が助産婦資格をとれるようすすめられていたところ、助産婦会が「入学の途を開くことは認めるが、女性が適正である助産婦職に男性の導入反対」という意思表明をします。

はっきり男性差別……!

しかしこの時点では、「デリケートな妊婦を男性に任せられるのか? ケアされる妊婦には大丈夫か?」という議論がほとんどされていなかったので、反対を表明した助産婦さんの気持ちもよくわかります。

自分もこの時に助産婦ならば、「男性が助産資格をとれるのはいいけれど、なんの準備もなく男性が助産士になれるようにするのは大丈夫?きちんと議論や対策を考えるべきじゃない?」と一時反対の立場になっていそうな気がします。

 

とにもかくにも、これにより、話は国会提出にはつながりませんでした。

これにより看護士は、看護師と保健師の資格はとれるけれど、助産師の資格はとれない、という状況になります。

 

男性差別だという指摘

 

もちろんこれは男性差別である、という話になりました。男性も助産士になれるようにすべき、という方向で話は進んでいきます。

それを受けて1991年(平成3年)には、それまで男性が受けられなかった「母性看護学」が受けられるように。

1993年(平成5年)には、保助看法が改正されて、はじめて男性の保健士が誕生!

けれど、「助産婦資格の男子への拡大」アンケートは、その当時80%が「反対」でした……。

しかし、1998年(平成10年)、大学で学ぶ男子一名が助産婦教育をうけたことをきっかけに、日本看護系大学協議会が「男子学生にも助産婦資格を拡大してください」と要望を提出。これを受けてふたたび、助産婦会が反対の意を表明します。

 

このあたりで「助産婦資格を男性にも派」VS「助産婦会」という構図がはっきりしてきました。(ちなみにこれは男VS女、という構図とは違います。男性に助産の資格がとれるよう働きかけた議員やこの参考資料「男性助産師是非論」も書いた人たちも女性です。)

 

ここから膠着状態が続くのかな……と思いきや、意外にも、話は転がりだします。

 

選択権があれば

 

助産婦会は「妊婦が自己のケアを受ける人の選択を保証できる段階で、助産士を導入する」と表明し、反対をするようになりました。

「妊婦がケアしてくれる相手を選べないならダメ!」てことですね。実際、産婦人科医にくらべ助産婦は女性の日常的な部分にも介入するため「男性だと恥ずかしい」「気になってしまう」という人も当然います。デリケートな妊婦さんにとって選択肢がないのは問題なので、この主張は妊婦の気持ちによりそった意見といえると思います。

 

これを受けて1998年。妊婦さんがケアしてくれる相手を選べるよう、法を一部改正しようという講演会などが、助産婦会で開かれたりしています。

また1999年には「男女雇用機会均等法」がうまれて、助産婦だけが唯一男性参加のない職種になります。厚生省からも「男子導入にむけて努力してほしい」という要望が送られたりしています。

そんなこんなでじわじわと、男性が助産婦資格をとれるよう話がすすみます。

そうして1999年2月、助産婦会では理事総会が行われ、男性への資格拡充についてアンケートがとられました。

 

男性が助産婦資格をとることについて、

1、賛成

2、「妊婦褥婦の選択権を保証すること」を「附帯決議」として賛成

3、反対

という形でアンケートはとられ、結果として、2の「選択権を保証する」形であれば賛成という答えが賛成多数という形になりました。

 

よかったね!と思ったら……

 

ここで「なーんだ!助産婦会も認めてくれたんじゃないか!やっほい!」とニッコリしたのですが、世の中そう簡単にはいかない……。

妊婦褥婦の選択権をセットにした「保助看法改正案」が提出されたものの、審議未了で廃案に。

その後、看護協会がもう一度要望を提出するも、賛否両論な世論を前に、「時期尚早」とされ、名前だけが男女が統一される形となって終わります。

2002年には、助産婦会では推進慎重論が出され、「1年間凍結し、助産婦会会員のアンケート調査を行い、その結果を協議・検討して推進する」という形に

 

……結果的には無期限延期、という形になってしまいました。

 

 

反対の声

 

男性助産師には抵抗がある、という女性の気持ちは、自分も女性なのでわかります。

胸や性器を見られるのはやや抵抗がありますし、男性産婦人科医に子宮がん検診をしてもらった時も「このやろー!指ガッガッてやりすぎだろ!痛いのわかってんのか!」とキレて帰ったりもしました。

でも、男性は資格すらもとれないとなると、明らかに男性差別です。

「男性にはきめ細やかな気遣いができない」なんていうのも根拠のない決めつけです。繊細な作業をしている男性はいっぱいいます。(どうでもいいんですが反対派からは「女性脳と男性脳があるし〜」という意見が多い……。)

出産に携わりたいなら産婦人科医になればいい、といった意見もありますが、経済的な問題で産婦人科医になれない人、それでも出産に携わりたい人だっているでしょう。

 

どうすれば…… ?

 

一体どうすれば男性は助産師になれるのだ……。

 

元増田のブコメにもあった通り、男性助産師は妊婦の夫への指導などの仕事にはうってつけだろうし(個人的に、出産後体調・メンタルともに荒れる妻への対応に窮する夫への指導が男性同士でなされていたら安心感がわくのでとってもいいと思う)、その他思いがけない視点をもたらしてくれるかもしれません。

 

くりかえしになりますが、一方で、女性の「出産するなら女性助産師がいい」というのは、おかしな考えではないと思います。むしろ着衣文化の中では自然な考えです。

それにやはり妊婦特有の悩みを相談したい時、同性がそばにいるのは心強いと自分も思います。

その気持ちに対して「その考えはおかしい!男性を選択しないのは男性差別的だ!」と責めることは、妊婦の気持ちに寄り添っていない非効率な抗議と感じます。

しかし妊婦が男性助産師を忌避する風潮が強いかぎり、男性は助産師資格を得る機会を与えてもらえない。

……いや、本来なら法にのっとって行政が資格をあげるべきな気がする……。責任を負いたくない上が日和ってるだけのような……うーん。

 

こうなると俄然、助産師を目指したい男性の実習につきあいたくなってくる!妊婦じゃないけど!

 

男性助産師を積極利用する女性が増えるよい方法はないのかなあ? 

地道に、女性に男女同権(フェミニズム)の意識を広げていくのがいいのか。それとも、夫婦別姓の話のように、助産師になりたい男性が不利益を被っていると訴える、という手も使えるのだろうか。

いずれにせよこれまでの流れは学べたので、また勉強してみようと思います。おー! 

 

 

 

 

しかし女性の一部が「男にはできない」とか「気持ち悪い」などと言ってているのを見ると、無理解にやるせなくなってしまう……。海外では出産取り上げ時だけ女性に変わるなど作業分担をしているところもあるのでなおさら……。

(もちろん海外の男性助産師も、かなり苦労されているそうです。資料のP89には、英国米国の男性助産師についても触れられているので、一読してみたらいいかもしれません。)

 

 

フェミは男性を去勢したいのか?

 

ぱっと思いついたことが、なんだか強烈なタイトルになってしまった。

激しそうなタイトルですが特段そんなことはなく、ゆるーく男女仲良くするにはどうすればいいのかなーと考えてます。

 

フェミは男性を女性化させたい? 

 

anond.hatelabo.jp

 

「うげげ!こんな人絶対やだー!でも確かに引っ張っていってほしい一部女性にモテるんだよね……」という微妙な切ない気持ちを抱かされたこちらの増田。ブコメを見ていると、こんなコメントが。

フェミニズムを男性に要請することは女性化しろという命令なのに、恋愛として男性性を求めることを批判しないからダブルバインドになる。自分の欲望を肯定するなら相手の欲望も肯定しないと筋が通らない。

 あれ……フェミニズムを男性にも求めることって「女性化しろ」ってことじゃないよね……? でもすごくスター集まってるし、知らないうちにそういう意味あいもこめられてしまったのだろうか……。

ちょっと不安になったので「フェミニズム」をWikipediaで確認。

性差別を廃止し、抑圧されていた女性権利を拡張しようとする思想運動性差別に反対し女性の解放を主張する思想・運動などの総称。男女同権運動との関わりが深い

うん。別に女性化しろとは言ってなかった。対応するらしいマスキュリズムも見てみたけど、女性に男性化しろとは言っていない。

どちらも「生まれ持っての性別によって特定の役割をおしつけられるの、おかしくない? 不平等だからそういうのやめない?」ということを言っている。私もそういうつもりでフェミを名乗っている。

 

けれど、前述のコメントが出た理由もわかる。よーくわかる。

 

 

目立つ過激な声

 

実際、悲しいかな、過激派フェミの中には「男は性欲の権化!猛省しろ!」みたいに男性全体を雑に責めるのもいる。

正直そこまでいくとフェミというよりミサンドリストなのでは……と思う……。

(ちなみに今回調べてみてはじめて「フェミナチ」という言葉を知った。

過激なフェミニスト 「フェミナチ」って知ってる?

この記事の「フェミナチが過激な言動をするせいで、区別できない人にはフェミニストも悪い印象になってしまっているの。」って説明は本当に本当によくわかる……。こういう人たちは女サイドから「そういうのただの男性攻撃ですよ。どちらとも平穏に暮らせる妥協点を見つけるのが肝要ですよ」って説得するしかないのだろうか……かなり怖いな……。)

 

いずれにせよ、一部フェミの「男は性欲を消せ!」みたいな主張は悲しいかな、確かにある。

また、それとは別に、女性の中には「やっぱ男性はしっかり働いて養ってくれるのがいいよね。リードしてほしい。」と考える層がいる。40歳以上くらいは大半この価値観で育っているので、割合も多い。

(このへんに関しては「性役割で分担していいじゃん!美女になって家事がんばる!」「俺はめちゃめちゃ稼ぐ!だから家のことは妻に任せた!」というふうに生きたいと思う人もいると思うので否定をしようとは思わない。「やっぱ女性は若くて子供いっぱい産めるのがいいよな。一歩下がってサポートしてくれるのがいい」という考え自体は、個人の自由なので別にいいと思う。

持って生まれた男性性や女性性を生かしていきたい人たちを否定するのは、他のフェミさんたちがどうか考えているのかはわからないけれど、自分は多様性がないのでいやだなーと思うので。

ただ、今はその割合まだ高く生きづらい人を生み出してしまってるので、もっとフェミニズム性役割からの解放が広がったほうがいいだろうなと思う。

もちろん「男なんだからしっかり稼げ!」とか「女は家のことだけしてろ!」とか『性役割を押し付けたり、性役割においてパフォーマンスが高くない人を格下あつかいする』風潮には全力抵抗するよー。)

 

 

話をもとにもどそう。

上記ブコメはそういうふたつの「よく耳に入ってしまう事柄」を受けて発せられたものなんだろうと思う。

なにせ、この二つを悪魔合体させると『男性性を封印し私に欲情するな。しかし男性性を発揮して私をしっかりリードして養いたまえ』だ。

こうなると、「都合よすぎるだろ!せめてどっちかにしろよ!欲が深すぎるだろ!」と上記ブコメのように思うのは、実にふつうの感覚……まこと正論……。

なので、「フェミは男を女のいいように利用しようとしてる」という誤解が生まれてしまうのはよくわかる。

(「いやいや合体させるとか誤解とかじゃなくて、そういうダブルスタンダードな破綻フェミ、ネットじゃわりといるだろ!」とツッコミたい人もいると思うけれど、多分それって男性の中にいる「かわいそうなおれに女をあてがえ」マンくらいにはごくごく一部の特殊ケースではないだろうか。(体感です。ソースなくてすみません。))

 

で、本題。

 

じゃあフェミは男性を憎んで片っ端からちん◯んを引き抜いて貢がせたいのかというともちろんそうじゃない。

自分の観測範囲なので恐縮だが、大体のフェミニストはそんなおっかないこと考えてない。

「リードとかそんなん適当でいいし、デートプランとか全然私がたてるし、自分の食べるものはもちろん自分で払うよ。結婚したら共働きで一緒に稼いで育児していこ! だから『女』っていうモノ扱いしないで〜。性的に消費しないでちゃんと私の人格を見て対等に接して〜」派が大半だ。

中には「ちょっと多めに払うよって言ってくれたらいいなぁ」とか「自分からアピールするのは苦手だから男性から来てくれるといいなぁ」みたいな女性優待をほんのり期待する気持ちも混じっているだろうけれど。

やはりそれ以上に彼女らは「女性性を消費されたくない」という気持ちが一番大きい。

 

性欲≒暴力?

 

性的に消費されるということそれ自体は、別に悪いことではない。されたい人も少なくない。

お金にもならないのに裸をさらす「女神」と言われる女性がいるように、自分の女性性が誰かを癒すことに喜び(快感か?)を覚える人もいる。

性的に消費されるのを仕事にする人もいる。自分もスタイルにはちょっと自信があったので水着とかを着た時に見られると「ふっふーん!いいでしょ!」と自分の持ち物を褒めてもらった嬉しさがうまれることがある。

 

けれど、意図しない場面で、意図しない相手に、性的消費をされるのはとても怖い。

幸いながら、私は周囲にいる男性はほとんどみんなやさしく、加えて自分の性欲が人並み以上にはあったので、男性の性欲についてある程度の理解があった。

そんなメンタルでも、はじめて痴漢をされた時は恐怖がわいてきた。

電車の中でしか触れない臆病者なんぞ睨みつければやめるとわかっていても、もしかしたら逆ギレされるかもしれないなぁ、殴られるかもしれないぞ、とあれこれ怖い想像をしてしまい、結局なにもできなかった。

比較的男性の性欲を好意的にとらえている自分でこれならば、そうじゃない人にとってはかなり不可解で恐ろしいものだろう。

さらに、性欲のわきにくい女性などは恋人とのセックス自体も苦痛だったりするので、「男性の性欲=苦痛・暴力的」といった印象になってしまう。

それらが積もってしまった結果、「男性はみんな性欲を抑えて」という一部の言説につながっていくのだと思う。

 

性欲≠暴力 

けれどそれは、女性のことを慮って真面目に性欲をコントロールしている男性にとってはさらなる抑圧になってしまう。それこそ「男性性を捨てろってことか?」と思わせてしまうだろう。

 

本来フェミニストたちの主張は、「抑圧者」や「加害者」に対する言葉だ。けれどそれを伝えようと声をあげればあげるほど、真面目な男性との軋轢がうまれてしまう。

真面目な男性にあなたのことじゃないから気にするな、というのは簡単だけれど、それをいちいち全員に言うわけにもいかない。

このズレをどうすればいいのだろう。

 

 

(ちなみに自分は、男性性欲そのものを暴力的だとするような言説には断固反対したいと思っている。性欲は性欲。食い逃げが横行したとしても「お前ら食欲を消せ!被害者がいるんだぞ!」なんていうのはおかしい。

男性にかぎらず女性も、自分の性欲を汚いものだとかなくすべきものだとか、絶対に思ってほしくない。それは生き物として、生まれき人に備わってる大切なものだ。悪いのは性欲ではない。)

 

 

 

いい結論はまだ出ていない。

でも現時点では、男女ともに「男女の性欲をきちんと学ぶ」をことが解決の鍵になるのではないかと思う。

男性の体のメカニズムや、どういった衝動がわくのかがわかれば、女性もどう対応すればいいのか感覚的にわかる。「性欲をなくせ」という言葉が性欲を自制している男性にとって残酷な言葉だということもわかるかもしれない。

同時にセクハラや逆セクハラ、痴漢などの性犯罪への対応についても一緒に学べれば、女性も男性も協力して犯罪に立ち向かえるようになんじゃないだろうか。

 

 なんかいつもこの結論に落ち着いている…。笑

みんな性別関係なく仲良くできればいいのになぁ。

 

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義務教育で性教育をしっかり教えていけるとベストなんだけどなー。性教育が遅れているからこそ、相互理解がすすまないで歪になってしまっている気がしてならない……。

 

 

シェイプオブウォーターと脱女性性/脱男性性

 

※ ネタバレを含みます ※

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

マイノリティのためのラブストーリーだ!と思って見に行ったら、わりとがっつり脱女性性と脱男性性の話でした。

 

デル・トロ監督の作品は、「パンズラビリンス」と「パシフィックリム」と「クリムゾンピーク」くらいしか見たことがなかったのですが、本作「シェイプオブウォーター」は、監督の得意技「現実を寓話に落とし込む」がぴったりハマっていて、素直に「ああいいなー!いいなー!」と思える映画でした。水没する姿って美しいよね。

 

お話自体はシンプルで、ある研究所に持ち込まれた魚人のような生き物と、口のきけない清掃員の女性・イライザが恋に落ちる、というもの。

 

周囲から「口のきけない人間」として見られてばかりのイライザは、同じように口のきけない魚人に「彼はありのままの姿を見てくれる」と感じて、心惹かれていくように。

欠けていると感じる部分を埋めてくれる人と出会えた、というのが二人の恋愛のはじまりだ。

 

ちょっと前まで自立したヒロインというのは、セックスアンドザシティのように「自分の問題は王子様に解決してもらわないで自分で解決する。そして社会的に成功をつかむ」というタイプが多かった。そうして邁進していく姿に男性が自然と惚れて、恋愛に発展するようなものが多い。

最近では、モアナのように、「自分の夢を持ち、男性を王子様ではなくよき相棒として互いに成長する」タイプもある。

そしてシェイプオブウォーターでは、立場も弱いしできることも少ないけど異物として排除されかけている男性を救おうとがんばる、いわば「へっぽこヒロイン」というモデルがでてきた。

イライザは、その性欲も、自分に欠けているところがあるというコンプレックスも、ばっちり観客に見られる。言ってしまえば特にかっこよくない。愛する魚人に対しては超アクティブでセックスも自分からしかけるけれど、隣人のゲイの老人や黒人女性に助けてもらわなければ彼を逃すこともできない。あと仕事にいつも遅刻ギリギリ。

口のきけない彼女は「助けてもらわなければどうにもならない」存在だ。

けれど、だからこそ身動きのとれない魚人の彼を助けたいと思った。いわば、弱者だからこそ、似た存在の彼を助けようと思えたといえる。

この映画は「弱者」「マイノリティ」と「周囲と助け合って生きること」を肯定している。

 

その逆の象徴となるのが、敵役のストリックランドだ。

彼は極秘研究所に送られた軍人で、魚人の警備をまかされている。

都心に近い大きな家を買い、ふわふわにカールした金髪の妻と、二人の子供がいる。さらに成功の象徴でもある緑のキャデラックも買う。理想的な家庭の中にいる彼は、「強い男」として何も語れない魚人を虐げ、口のきけないイライザにも搾取の目を向ける。声のあげられないマイノリティを虐げるマジョリティだ。

しかし彼は魚人に逃げられ、上司に責任を問われ追い詰められる。そして次のようなことをいう。

「いつまでまともだと証明し続けなければいけない」

それに対し上司は

「失敗をするような人間はまともとは言えない。早くまともになれ」

進退窮まったストリックランドは死にものぐるいで魚人を追うも、指すら失い、最後には破滅する。

これはまさに「男性性に囚われた者」の末路だろう。

 

一方、魚人は物語の最後で、イライザについた首の傷をエラにする。彼女の消せない傷をともにいるための特別なものにしてくれる。そうして彼女は海の中で愛する者との幸せを手にいれる。

 

眠くなってきたのでさくっとまとめよう……。

 

シェイプオブウォーターは、「女性は一人でも生きられる!」という段階はもうすでに通り越していて、「女性・男性関係なく、誰かと助け合えば欠けていて不自由でも愛する人を救えるし、足りない部分を補いあえる。強い人間やマジョリティにならなくてもいいんだよ」というメッセージを送っている。

また男性についてはそれに加え、「既存の男性性(社会的強者の地位)に無理にしがみつくことは悲劇をうむ」という意味をこめている。

正直、ストリックランドのように生きることを正しいと思う男性/女性は現代にもまだまだ多そうで、なかなか闇が深い。適応障害を発症させるほうが「弱い」なんて言われてしまうんだろうな。失敗の許されない人生なんて、恐怖以外のなにものでもないのに……。

(なんとなく、ストリックランドを見ていて、これの女版は、はあちゅうさんなんじゃないかな……と思ってしまった。どうか「成功者」という地位にしがみつがず、健やかに過ごせますように……)

この男性性教・女性性教という宗教が過去のものになることを願うばかり。

(もちろん男性性や女性性そのものが悪いわけじゃないので、それを持っている人は自分の一部として大事にしてほしい。)

 

マイノリティ全体の話でありながら、イライザという弱い女の話であり、魚人という異端の男の話でもある。全てへの救いの道を示して、二人を新しい世界へと送ったデルトロ監督のバランス感覚って、とんでもない気がする。

 

 

クリストフはいいぞ

anond.hatelabo.jp

いや、もう本当に、自分はクリストフがとても好きだ。

なので以前「業者」と言われているのを見たときはちょっとびっくりした。随分読解力のない人もいるものだなー、と思った。あんな素敵な人はなかなかお目にかかれない。

そんなところですごく良い増田を拝見できたので、自分のクリストフ愛をつらつら書いてみることにした。

※単に自分がどうしてクリストフが好きなのかというまとめなので、女性学男性学的なことにはほぼふれてないです……ファンの戯言……。

 

クリストフはいい!!!!

たとえば、「ろくでなしさ人間は」なんて悪態をつきながらも、無鉄砲なアナを見捨てておけないお節介で優しいところがいいよね!

あとは、スヴェンやトロールみたいな血のつながりも種族のつながりもない相手とまで家族のように近しい関係になれるところもいい!

ちょっといじけながらも本当は心の底から人間と愛し合ってみたいなー、なんて思っているところも好き!

最後、アナに死んでほしくないという思いから奔走して、淡く生まれかけた自分の恋心を断ち切ってでもハンスのところに送りかえそうとしたところとか、なんて一途なのだろうと胸がギュンギュンして……うお……おま……しゅき……!!

クリストフは生まれついての王子様ではないし、最後の最後、お姫様に認められて王子様になるわけでもない。せいぜい出入り業者だ。

でもそれでいい。いや、それだからこそいい。彼は誰の承認を得るでもなく、彼自身の中ではじめて生まれた「無償の愛」で報われている。自分自身でしっかりと今までなかったものを得ることができている。

あえて言うならば、ただ一個人としての、町娘ようなアナのほっぺへのキスが、最大の、幸運な報酬だと思う。

 

こう書いてみて自分ははじめから完璧な人間じゃなくて、お互いの欠点を補い合って、お互いのいいところを認め合って、一緒に成長していける人を好きになるのだなーと感じた。(※欠陥があると安心できるとか、ダメ人間が保護欲をそそるとかそういう意味ではない)

多分、はじめから完璧より、一緒に成長しあえる人がいいと思ってる人って、男性にも女性にも多い……んじゃないだろうか?

もちろん、完璧な男性性を持つ王子様や完璧な女性性を持つお姫様を好きな人がいることは、決して悪いことじゃないと思う。そういう憧れをきっかけに人は努力を重ねたりできるし。

でも、男性性に欠けていても、女性性に欠けていても、誰かと繋がっていたいって気持ちと勇気があれば愛は見つかるのさ!ってことは覚えておきたいものです。

 

余談だけど、自分はアナ雪のテーマは「ありのまま」じゃなくて「孤独を乗り越える」なんじゃないかなーと思っている。アナもエルサもクリストフも「孤独」や「他人とうまくいかない」を起源にしているので。

アナが拒絶の果てにあるエルサの氷の城にたどり着くまでに手助けをしたというのが、氷を切り開く氷屋のクリストフだったのもおもしろい。氷(孤独)というものをよく理解しているクリストフがいたからこそ、アナはあの城までたどり着けたのだろうなと。

 

人と繋がりたいけど繋がれないっていう点で、エルサとクリストフはとても似ている。

 

でも、エルサがアナからの無償の愛で救われているのに対し、クリストフがアナとエルサの幸せな姿に十分満足しているのを見ると、クリストフの方が本編での人間的な成長を遂げているように思う。人間なんてろくでなしだと思っていたのに、自分の気持ちを犠牲にしてまでアナのことを愛することができたわけで。

だからこれは苦しみながら互いの気持ちを掴んでいく姉妹の愛の話である一方、「ある男が愛を獲得する話」、つまり「真実の愛を与えられるという意味での王子様になる話」でもあったんじゃないだろうか。

 

だらだら書き散らしてしまったけれど、つまりクリストフはめっちゃいいんだー!!!!