モャッパ!

生きにくいよを生きやすく

結婚式に行ってきた

http://anond.hatelabo.jp/20161203210820
30代の友人たちが - はてな匿名ダイアリー

 

大学時代の友人の結婚式に行ってきた。アットホームでみんな優しく暖かくてとってもいい式だった。

その帰りに上の記事を見て、ああこの気持ちわかるなぁー、と。

ブコメには「あんたの幸せのために友人がいるんじゃない」みたいな話もあるけど、そうじゃないのだよね。友人が「パートナー欲しいな」といいつつ、つまりパートナーを見つけ共に過ごすことに幸せを見いだしつつ、パートナーを見つけようとしないからモヤモヤするのだよね。わかるわかる。きっと親のような気持ちなのだ。幸せは一つの物差しで測れないこと百も承知の上で、そう思うんだ。

友人が本当に心配なら「誰か紹介しようか?」と声をかけるのがベストとは思う。やっぱり「結婚したいなら真剣に探しなよ!」と口先で言うだけでは、既婚者ゆえの押し付けに感じられてしまう時もあるから。(もちろん有効ではあるけど、友情がこじれる可能性が高い。)

「あなたの願いを叶える協力させて」という姿勢を見せていけば、増田さんの気持ちは友人に伝わるはず。もちろんお節介と思われるかもしれないけど、きちんと友人関係を築けているなら、ゆっくりわかってもらえると思う。

逆にブコメであるよう「本当は結婚したくないし興味薄いのだけど体面のために形ばかり結婚したいと言っている」というタイプかどうかも、きちんと話し合うことで見えてくる。もしそういうタイプだとわかれば、それはそれでお節介をやかずに「結婚に対する価値観は違うけど大切な友達!」として長く付き合って行くことができるはず。

結婚は幸せだと思うから、はたまた独身主義だから、というそれだけの考えの違いで友人を失うのはすごくすごくもったいない。幸せの定義が違ったって、仲良くはなれる。

モヤモヤを溜め込みすぎないでがんばってほしいなぁ。

 

 

 

 

 

 

人ごみがつらい

友人の結婚式が近いので諸々のアクセサリーを買うため、繁華街に行ってきた。

生来とにかく買い物に悩む。アマゾンで買うときすら無駄な買い物をしたくないと思うあまり頭痛がおきる。リアルの買い物では何軒も何軒も店をめぐり何個も何個も比較検討してどうかな〜やはり明日もう一度見てから決めるかな〜と考え行ったり来たりしてようやっと決めることができる。

しかして本日は土曜。街はとにかく混んでいた。

安物のアクセサリー店は幸運にもセール中だったが、そのため人がごったがえしている。ずらーーっと壁一面に並ぶピアス、イヤリング、バレッタ、ネックレス、チョーカー、ブローチ。パールもあれば星型もあり金も銀も赤も青も緑もその混合もベロア素材もタッセル付きもフープもハートもでっかいフープもでっかいハートも花型も小花柄もにっちもさっちも本日ぅーセール中ですぅーたいへんお買い得にぃーなっておりますぅーも狭い店内で左右から押し寄せる人もどどどうどどうどどどどうど。

 

買い物に向いてない人種というのもあるのですね……。

実家に帰る

いまから実家に帰る。

いま住んでいるところから約1時間離れたところにある実家には、母と兄が住んでいる。(父は祖母の介護のため父の実家に帰っている)

実家に帰ると何もしない。

おそろしいほど、何もする気がおきない。

原因はわかっている。母が大体なんでもやってくれる。「あんたたちぼさっとしてないで夕飯の準備手伝いなさいよもぉ〜!」などと言いつつ、65歳の母はぼさーっとしている子らを横目にてきぱき家事をしている。

そして自分は何をしているかというと、はてブを見たり、FGOをしたり、Twitterで友達腐女子の動向をみたりしている。中学生かっちゅーだらけぶりである。

……よく考えると同棲している彼は、二十うん年間こんな暮らしをしていた私と一緒に暮らそうと決めたのだからなかなか勇気がある人だ。

でも、でもでも、彼と暮らしている家に戻ると私もかなりパキパキ動ける。おそらく「自分が動かないとはじまらない」状態になってはじめて動けるようになるんだろう。真性のものぐさじゃなくてよかった……。

 

もう少し母親を労らねばと思う一方、こんなになんでもしてもらえて、かつ気兼ねなくごろごろしていられる喜びはそうないよな〜と思うと、ついつい甘えてしまう。ごめんね母さん。ありがとう母さん。娘はすっかりマザコンです。

 

今日は皿洗いくらいはする。

 

す、するはず……。

 

 

 

恋愛とか結婚とか2

昨日の続きっぽいもの。

「他者との衝突に臆病になりがちな人が恋愛をする方法」をあれこれ考えていたのを簡単にまとめるとこんなんになりました。ざっくり!

 

1 「世の中にはいろんな価値観の人がいる」と知る

2 「相性があわないことはよくある」と知る

3 好きになれるように見てみる

 

そもそも人付き合いが苦手な人というのは、他者に対しものすごく遠慮をします。

これをして嫌がられたらどうしよう。あれをしないで怒られたらどうしよう。迷惑かけたらどうしよう。他者を傷つけたくないという優しさから生まれる場合もあり、自分が傷つきたくないという保身から生まれる場合もあり。どちらにせよ「自分の素を出せない」ようになります。

すると人と話すのがキツイ。ほんとキツイ。ティーンエイジャーが「本当の私はどこ?」とポエムするのは大体こういった遠慮や気遣いの度合いがわからなくて本音が吐けないがゆえに起こっちゃうことだろうなと思います。

大体の人はそういう本音と建前を行き来しつつ一番自然な状態の自分を見つけるのでしょうが、遠慮しすぎてコミュニケーションすることに「恐れ」が染み付いてしまった人はそこからなかなか前に進めない。

「どうせ会話もりあげられないし」

「沈黙が落ちたらきまずいし」

と話すことそのものを諦め、知ってもらおうとしない。相手からしてみたらなんでもいいから話してくれたら楽しいのにな……と思っているかもしれないのに。

そこで一つ目

1 「世の中にはいろんな価値観の人がいる」と知る

ちなみに私はおしゃべり上手な人と話すのより、わりと無口な人や気難しい人と話すのが好きです。秘密の宝箱を開けた感じがして良い。レア度も高い!そんなわけであなたと話してみたいなーという人は意外とそのへんにごろごろおります。探してみよう!

見つけてもうまく続かない!という場合は二つ目

2 「相性があわないことはよくある」と知る

これを飲み込めると強い。会話がうまく続かない時に「自分の会話がうまくないせいで沈黙が……」となる人は特にこの考えを身につけると強い。会話は二人でするもので、話の内容はもちろん、リズム感やら声の質があわなくてもうまく会話が進まなくなります。「個人的に、一番相性のいいのは「話しているのを聞いていて安心する人」だと思ってます。話し方にはかなりその人の考え方が反映されているので、じわっと耳をかたむけてみてくださいませ。ちなみにあんまり相性よくなさそうだけどいっぱい話したいな……という場合は、相手の話し方にちょっと似せるといいと思いまする。

話はごちゃごちゃしましたが、「自分のせいで……」となると落ち込んで前に進めなくなるわ実際会話がうまくいかない原因を見落とすわであんまりいいことがないので、まずは「そういうこともあるよねー」くらいの構えでいればいんじゃないでしょか。

そして最後。

3 好きになれるように見てみる

これ意外と盲点じゃないかなーと思ってます。

私の観測範囲内では「自分に合う人がいない」という人ってあんまり恋愛上手ではなない。

いきなり「この人私にぴったり!」と思える人がひょろーっとやってくるはずはないのであります。

知り合う人に対し、「この人どうかな?自分と合うかな?」と探っていかなくてはならない。

しかしここで注意しなくてはいけないのは、「やさしい子だけど顔がな」「話してて楽しいけどお金がな」と条件付けから足切りの発想をしてしまうこと。これをしていると、いい人をどんどん取りこぼしていくことになります。

「恋愛っていうコストがかかることをするんだからやっぱりいい人を狙いたい!」という気持ちはわかりますが、理想ど真ん中ハイパフォーマンスな人を見つけたところで、それが本当にその人に合ってるとは限らない。

「条件がいい」は大事ですが「自分に合う」の方が安定した恋愛や結婚には欠かせないことです。

そして合う人は、とにかく好きになれそうなポイントをたくさん探っていくことで見つかります。

「一緒にいて安心する」「会話が盛り上がる」「尊敬できるところがある」「落ち込むポイントが一緒」などなど、長く一緒にいたいと思うならばかなり貴重なポイントです。減点法をせず加算法をして「顔はそんな好みじゃないけどここはときめくな」などと見ていくと、自分の予想していなかった思わぬ良い人に巡り会えるはずです。

そんな感じでざっくり終了! 

 

ひとまず恋愛・結婚したいけど怖いよーという人の話ばかりしてしまいましたが、心底から恋愛や結婚はいらない、と思う人ってどれくらいいるんでしょう。もっと意見を聞きたいなーと思う昨今です。

恋愛とか結婚とか

クローズアップ現代プラスから、恋愛したくない若者の話がだいぶ話題になってますねー。

私もリアルタイムで観て思うところがあったので、いつも通りざっくりちょこちょこ所感をば。完全に私見にまみれてます!まみまみ

 

私の周囲で恋愛や結婚に積極的になれない人の考えは、おおむね2パターンに分けられます。

恋愛に抵抗感を持つ人→傷ついたり傷つけられたりするのが嫌。

結婚に抵抗感を持つ人→責任を負いたくない。

つまりのところ、なんかしら衝突を恐れています。(ざっくり)

して今回は「いわゆる恋愛や結婚はめんどうー」といいつつ実際は怖がってる人にクローズアップしてみやす!

彼ら彼女らの中には

恋愛や結婚の喜び<他者との衝突に対する恐怖

っていう力関係があり、だからいまいち一歩踏み出せないようです。

個人的にはこの「恐れ」ってやつが恋愛・結婚に対して消極的姿勢になることの大きな要因のよーに思います。

で、この「恐れ」がうまれた背景には、やっぱりネットとSNSが大きく関わっているかなっと思います。

ネットで匿名の発信ができるようになってから、いわゆる「普通は話したくない恋愛(結婚)ネガティブ面」が大量に語られるようになりました。「年収が◯◯円以下なら相手にされない」「喪女(笑)」「あいつの嫁ブザイクだったざまぁ」「慰謝料に◯◯万」「旦那がDVだった」などなど。つまり

1、「恋愛や結婚の喜び」の矮小化

が手始めに起こりました。恋愛ドラマもトレンディなものが飽きられてからは不倫や浮気や二股やらのダークな恋愛ものが増えてきたような気がしますねん。

その後、SNS普及によって

2、他者との衝突の複雑化

も起こりました。クローズアップ現代でも「フラれた話が仲間内に広がっていた」という話がありました。そりゃ恥ずかしいし裏切られた気になるよな……。

そして不況!不況によって

3、恋愛をするための時間の減少

が起こりました。これがでっかい。就職氷河期長時間労働で「恋愛したいけど就活で時間ない!」「恋愛したいけど仕事で時間ない!」がぽんぽこ起きてます。(逆に恋愛上手は就活で彼氏彼女を見つけることもありますが。)ほんとうに仕事に圧迫されて恋愛に足を踏み出せない知り合いがめちゃめちゃ多い!さらに加えて、結婚するための資金はたまりにくいわ、長時間労働で精神削られてるから恋愛する気力などわかないわ……これだけでももう十分にやる気をくじかれますね!

そしてだいたいの人は思っているはずなのです……。「恋愛で十分相手を見極められなければ、結婚してもうまくいかなくなる可能性が高い」と……。ゆえに恋愛をしてから結婚をしたいと思っている人はまだまだ多い、はず。

だれかと恋愛をする自信がない。自信があったとしても時間がない。時間があったとしてもお金がない。(一部の人を除く)

ことさら恋愛に対し自信のない人にとって、結婚までの道はまるではてしなく長い旅路に見えるのではなかろうか……。

 

私の観測範囲では、恋愛や結婚に苦しんでいるのはこんなかんじに「コミュニケーション能力が低い(と思い込んでいる)人」と「恋愛市場価値が低い(と思い込んでいる)人」がだいたいです。そして大半は「できるなら恋愛も結婚もしたい」と考えている模様です。(中には「もてるけど恋愛はコスパが悪いからふーぞくがいい」という人もいますが話がそれるのでまた今度。)

たぶんこれからいろんなブロガーさんがいうように、恋愛や結婚の形は変わっていって、パートナーのあり方にも多様性が生まれると思います。

ただ、そうやって制度が変わっていったとしても、恐れゆえに恋愛や結婚に進めない人にとって必要なのは、やっぱりどこまでも「他者と深く関わる勇気」なんじゃないかなーと思います。さらに言えば「自分を素直に出して、相手を受け入れる勇気」が必要なはず。めっちゃんこ陳腐な言い回しですが、これが持てなければ恋愛や結婚をしなくてすむように制度がかわっても、どこかで苦しいことになっちゃうんじゃないかなー、と勝手に心配しています。逆に言えばそこさえ乗り越えられたら、時間やお金がないことに絶望せず、乗り越えていこう!と前向きになれるかもしれませぬ。

じゃあどうやったら素直になれるかというと……眠いからあした!

 

 

 

 

 

 

 

ちょわのススメ

突然ですが「ちょわ」をご存知でしょうか。

 

「ちょわ」はとても便利です。

なんだか突然テンションが上がってしまった時には「ちょわー!」と叫び声になり、

あんまり真剣に言ってしまうと角が立ちそうな話題では「いきがくさいちょわ〜」と和ませ、

びっくりした時にはかわいく「ちょわっ!?」とおののき、

恋人になつきたい時には「ちょわわ〜」と動物のようになつき、

風邪でもうだめだ体が動かないという時には「ちょわっ!」と一喝することでテンションをあげ、

つらくて泣きたいときには「ちょ……ちょわ……」と悲しそうな声を出すことで親しい人に黄色信号を伝えることができます。

 

カラオケが日本人にあたったのは、ひとえに「自分の声を思い切りだす瞬間」が少ないからのように思います。

公共の場では静かにしよう。会社学校ではうるさくしないように。居酒屋で大声だす客は迷惑だ。どれも正しいんですけど、でもそのせいで「自分の声を思い切りだす」ことをためらう人は多いような気がします。特に周りを気遣う人ほど。

(もちろん会話相手のことを考えてはっきり伝わる声でしゃべることも大事なのですが、それってあんまり重視されないような気がします。狭い場所に家が密集するからか基本的に「気遣いする=静かにする」になってるんですよねー)

 

はっきりとためらいなく自分の声をだすのは気持ちがいい!

でもしみついたうるさくないようにしなきゃ癖はなかなかなおらない。

そこで、「おうちちょわ」です!

眠いのにうっかり書き始めてしまったのでちょっと支離滅裂ですが、いたって真面目です!

ためしに「ちょわー」と、ちょっとぼやっとした感じで言ってみましょう。その音のまぬけさになんだかフフっとなるかと思われます。「ちょちょわちょわ!」「ちょわぴょろ〜」など変化させていくと、さらに間抜けな気持ちになります。あとは思うままに「ちょぺー」とか「ちょっぽっぽ!」などと言いましょう。

おそらくとてもリラックスします。悩みすぎるのあほらしいなーという気持ちになります。でなければものすごく虚しくなります。

どちらになるかはその人次第!!

zasshi.news.yahoo.co.jp

瞑想や運動や野菜は、実践してみて個人的にかなり良いと思ってますが、めっちゃ真面目な人は逆に「やらねば!」と意識してガッチガチになるかもしれませぬ。

なにはなくともまずはリラックス。騙されたと思ってためしにいかがでしょうか♡

 

(「ちょわ」以外には「もひょー」「のーん」「わっふっふ」「ぬんすぬんす」などもおすすめです)

 

 

 

「この世界の片隅に」感想(ネタバレなし)

すっかり放置気味だったので久々に!

今年は多分にもれず、「シン・ゴジラ」→「君の名は」→「この世界の片隅に」と話題作を覗きに行きました。それぞれ思うところはありましたが、中でもこりゃ何か書かねばなならんわ……!という気にさせてくれたのは「この世界の片隅に」。

 

戦争ものかー、なんでそんなに評判いいのかな?くらいの気持ちで見に行った「この世界の片隅に」。

DVDで片渕監督の前作「マイマイ新子と千年の魔法」を見ていたので、とりあえず牧歌的な話なのだろうなと思っていたら、まさにその通り。お話はしずかにやさしくとんとんすすみます。

そして気づけば見終わっていました。

126分という結構な長さの映画。それなのに、腰いたいなぁとか、後半トイレ行きたくなったらどうしようとか、買ったお茶飲まなきゃ、とか思ったりする暇は一切なく、終わっていました。

はっと夢から覚めたような気分。多分、見た人はわかってくれるんじゃないかな。

 

 

灯りがついてしばらく、余韻に浸ってぼーっとしていました(真ん中の席で、急いで立つ必要がなかったので)。

するとなにやら、出て行くお客さんの顔がよく目に入る。

そしてなぜか、その人たちをものすごく近しく感じる。知らないおじさんおばさんやカップルや大学生に対する見方が明らかに変わっている。他人に見えなくなっている。

すごく不思議な体験でした。でもこの映画を見たのならば、必然的な体験だなとも思いました。

この世界の片隅に」は普通の人の話です。主人公のすずさんも、その周りの人も、みんないたって普通。能力や容姿や性格に多少の違いはあれど、その時代やその時代のルールの中でそれぞれ普通に幸せになるため生きようとしている。

大事な人は失いたくないし、美味しいものを食べたいし、好きな人とはキスをしたいし、苦しくてもなんとか笑って生きていたい。死ぬのは怖い。根っこは全然変わっていない。今も昔も。

だからか、ごく自然に周りの人たちに対して、「ああこの人たちと私はおんなじなんだなぁ」「みんなみんなここに生きててよかったなぁ」と、うっすら笑顔になれました。うーん、まるでベタな言い回ししかできなくてもどかしい……!でも同じような体験をした人はきっといるはず……!

 

 

 

マイマイ新子」を見た時にも思ったことなのですが、片渕監督は「過去と現在をつなぐ」ことをすごく大切にされているのだなと思いました。過去を「過去の物語」にしない、とでもいうのかな。今と過去を地続きにしてくれる。

広い縁側のついた家に近いかもしれない。見る人がすーっと入り込めるようになっていて、気づけばいつの間にか奥の奥まで入っていて、「ああ実家みたいだな」ととっぷり浸かっている。

「押し付けがましくないからいい」という意見はまさにその通りですね。「物語の中に導かれる」感覚がとっても心地よかったです。こんな映画体験あるんだ!とびっくりびっくり。

 

月並な結論ですが、文句なしに素晴らしい映画でした!迷わず映画館に!

しかしどういうことをしたら、こんな風に人の心に寄り添った映画が作れるんだろう?