ネガティブオタクのいきかた
こちらを読んで、思ったことをつらつらと。
漫画やアニメ、ゲームといういわゆる「オタク」のためのものが、芸能やスポーツやらと同じように消費されるようになって久しい今日このごろ。缶バッジじゃらじゃらの痛バッグとか、白昼堂々の街中コスプレとか、昔は遭遇しなかったようなオタクも増えてまいりました。
個人的にオタクという人種は好きです。
特に昔堅気なめんどくさいオタク。疎外されるつらさを身を持って知っていて、センシティブな感性を持っていて、なおかつ好きなものをとことん調べて貫きとおせる一途なところ、とかですね。
でもまーどうにも最近そういう方ほど生きづらいところもあるのかなと、元記事を読んで思いました。特にSNSなどは匿名なぶん悪意もモロ出しで、自分自身の強い意志をもって交流しないとモメることも多い。
というわけで、人間関係に疲れがちな人が多少楽になれたらいいなーという気持ちで、「コミュニケーションに疲れないための考え方」をお伝えしてみようと思います。
その1
「嫌われる時はどうしたって嫌われる」
コミュ強の友人が教えてくれました。「がんばってもどうにもならないこともある」。一見諦めの境地に見えますが、これは飲み込むとかなり楽ちん!
「周囲のみんなと正しく仲良くできる人」なんて相当な努力をしている一握りの存在だけかと。
(ピーギャーうるさいあいつらには友達がいる?彼らの多くはコミュニケーションそのものが好きor友達がいないと思われるのが怖いために漫画やアニメを媒介にしていることが多いので、あんまり気にし無いほうが吉です。そういう生き方もあります。声が大きいので目立つのがたまに瑕。)
コミュニケーションに疲れてしまう人は「みんなとなかよくできない自分は普通よりもダメな人間だ……もっと努力しなければ……」と思い込んでしまっている人が多いような気がします。
さらに努力して会話してみても「変なことを言ったから会話が途切れちゃったのでは?」とか「私が黙っていればみんな楽しく話せるだろうし我慢しよう……」とか「会話が途切れたらきまずくなるから話しかけるのはやめておこう」とか、とにかく「周りに迷惑をかけたくない」「変なことを言って煙たがれたくない」と恐れます。
実際のところ、リラックスできない会話は辛い。さらに言えば恐れてビクビク警戒しながらする会話ほど相手にとって辛いものはない。
リラックスして本音で話しているのに離れていってしまうのであれば、それはもう、自分と相手が合わないだけだと腹を括ったほうがいいです。
こわいのは「自分はみんなができるような会話ができない」「相手にあわせられない」と思い込んでガチガチになってしまうこと。
会話がうまくいかない理由なんてシチュエーションによってたくさんあります。
周りがうるさくてやや声が聞き取りづらい。相手が忙しく、午後の予定のことを考えていて気がそぞろ。ランチを食べるのが遅いので受け答えが早くできない。などなど。
「自分が会話が下手だから相手を不快にさせている」なんて思う前に、まずは「自分の性格や主張が受け入れてもらえない可能性もあるけど、それは誰にだってあることだ」と割り切って、自然な姿を見せていくのがSNSでも現実でも健全な交流の第一歩だと思います。
素直に話し自然体でいる人はとりつくろわない分、相性ぴったりの人が早く見つかる!
(気を遣われるのがいや。という気持ちもあるかもしれませんが、自分が気の遣いすぎて潰れちゃっては元も子もありませぬ。潰れてまで大切にしたい相手なのであれば思いを貫くのもよいやもしれませんが、多分相手がまともな人であれば、それで潰れたとなれば大変悲しむことになります。素直が一番)
その2
「『同じものを好きな人』だけではなく、『似た考え方の人』を見つける」
元記事では「最近のオタクは浅くなった」という言葉がありますが、ならば考察大好き!理路整然といた解釈大好き!な人とお近づきになればよいのではないかなーと思いました。
探せばけっこう考察腐女子はゴロゴロしている。本当にいつ寝てんの?ってくらい考察している。
もし同じジャンルにいなければ、気になる他のジャンルなどでも。もしくは自主的に考察ツイートをしていけば「原作至上かよ面倒だなー」と思う人もいればウキウキ乗ってくるRTしてくる人もいるはず。
「萌え!」だの「神!」だの「◯◯ちゃんペロペロ!」だのしかいわないで楽しめる人もいます。でもそれに馴染まなくたって問題ないです。だって楽しむポイント違うんだもの。
ジャンルやCPの枠にしばられ馴染めない空間に馴染もうと努力するのではなく、自分なりに居心地のいい人、共感できる考えの人を見つけていくのが精神的に良い気がします。悩み相談もできるし。
その3
「大事な人は誰か、大事なことは何か、優先順位をつける」
評価をしてもらうためには、自分の意志を曲げなければいけない時があります。
逆に自分の意志を貫くなら、評価がついてこないことを覚悟しなければなりません。
大人数とまんべんなく仲良く楽しむことを求めるなら、フラストレーションがたまることがあると受け入れる必要があります。
人間関係に悩まず平穏に暮らしたいなら、友達を少なくしなければならないこともあります。
どれを選んでもリスクはあります。「何をしても嫌なものがついてくるなんて、人生は最悪だな!」と昔の自分は思っていました。でも実際はリスクを覚悟して自分で好きな道を選んでいくのが、一番楽でした。本当に。
「二週間だけ、あいつを見返すために萌え死ぬような作品をかいてやろう」
「評価されないかもしれないけど、今週は自分の好きなものをいっぱいかく!」
「地雷ツイート見たくないから友達のAさんのツイートは今だけミュートして、後でいっぱいリプしよう」
「私にいつも優しくしてくれるBさんだけは喜ばせたい。でも自分のメンタルがやられるとお話しもできなくなるから、できる範囲でがんばろう」
などなど。期間を決めて、「今はこのリスクがあるけどこれをする!」と行動すると、他人のネガティブな反応にいちいち振り回されることがなくなるのではないかなと思います。
と……大好きな友人が以前同じように悩んでいたので、ついつい書いてしまいました。
同人が一大産業になり、界隈が大きく変わりお金が絡むようになって、変な人も増え、和気藹々とした雰囲気が薄れてきているなあと、ひしひしと感じています。
けれど、そういう心無い人に憎しみをむけるのではなく、近くにいる心優しい人を見つめていってほしいなあと思います。(自分もよく、どうにもならない「世間」のようなものに憎しみを持って時間も熱意も無駄にしていたので尚更に……)
必要以上に怖がったり、憎んだりすると、いいこたないですねー。困っているみなみなさまが、傷つけてくる馬鹿をはねのけて楽しく創作活動できるよう、かげながら祈っております!
(追記:ブクマありがとうございます!確かに私が書いたようなことはもう実践されてそうですね/////その他の、自分を責めがちな方に活用してもらえればいいな〜)