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モャッパ!

生きにくいよを生きやすく

あいってなんだ

 

papuriko.hatenablog.com

 

ダントツ切れ味のいいこちらの記事から思ったことをつらつらと!

いやあキラキラ被ハラスメンツモテ女子の精神的な動きがここまでわかりやすくスパッスパーーっとわかるなんて気持ちがいいなーー!とりあえずキラキラ被ハラスメン略友人に見せなければなーーーー!(泣)

 

で、個人的にはこのフレーズに注目。キレッキレの部分ではないですがズンと響きました。

じゃあ何が愛なのさ?って言われると一言では言えないですが、私にとっては、自分の尊厳と相手の尊厳両方に敬意を払うこと、どちらかに負担を強いることのないサスティナビリティが必須です。

うまく引用機能が使えたぞ!で、サス……なんだって?と思ったのでとりあえずウィキウィキ。

サステナビリティ 「持続可能性」を意味する“Sustainability”のカタカナ表記。 環境保護活動分野でも使用されることが多い用語で、近年は企業活動分野でも用いられている。 企業分野では、利益を上げるだけでなく社会的責任を果たすことで、将来においても事業を存続できる可能性を持ち続ける、という意味で用いられる。 

 ほうほう。つまり「互いの尊厳への敬意を持続させる」ことが大事っちゅーことですね。

 

…………いやほんとこれです。愛の根っこには尊重がある。

反対に人がいさかうのは十中八九、相手をナメくさるからもしくは相手をやっかむから。「これだから女は」とか「Fランがいってもな」とか「童貞がいうな」ですね。

 

記事内でもそっと言及されてますが、尊重思考が身につくかどうかは、主に「親が子供を個人として尊重できているか否か」で決まってくるように思います。信用しない、任せない、ずっと子供扱い、最悪親の所有物扱いする。そういう風に扱われると、親(他者)の評価によってしか尊厳を得られないようになってしまうのですよね。

そうすると「個人の尊重」なんてどこへやら、やれあいつは年収が低いだの、役職が低いだの、顔がぶさいくだの、身長が低いだの、おっぱいの形が変だの、伴侶がダサいだのと言い出す。「全体の中での自分」が上がった気になるので。よくいう「あいつよりマシ」思考。

 

……暴言を吐く人は、この世に「個人のヒエラルキー」が存在すると固く信じているよなあ。

 

私の行った高校は、まあまあの進学校(大半は早慶以上に行く)だったのですが、これがまあ全くといっていいほどヒエラルキーがありませんでした。みーんな対等。先生も超フランク。

振り返って考えるとやっぱりみんなわかってたんですねー。「勉強能力の上下」「運動能力の上下」「性的魅力の上下」などがあっても、「人間の上下」なんてないってことが。

成績が低いこと、運動ができないこと、容姿が悪いこと、すべて蔑まれる理由にはなりません。だから周りには悪口ってものがほとんどありませんでした。あるのは要望くらい。いい学校だったな……。

(私自身はこのあとさらに、愛をしっかり理解してなおかつ実践できるそれはそれは誠実で素敵な方と恋愛することができたのが幸運でした。彼がいなければ「人間なんて自分が一番可愛いもんよなぁ」と今も思っていたようが気がします。)

 

 

恋愛において必要なものは、「個人の尊厳への敬意」以外にもいくつかあるとは思います。

でも、どんな人間関係も尊重なしには立ち行かない。逆に言えばこれさえわかれば、愛を持っているも同然なんですよねーたぶん。

小さいころから学んできた人にとっては今更なことでしょうが、こんな当然なことを感じられないまま大きくなってしまう人はきっとすごく多い。とくに他人から言われた心無い言葉で、自分からヒエラルキーを作ってしまう人は多そう……(自分がそういうタイプだったからかもしれんが。)

他者の基準(それも大した根拠もない)を鵜呑みにして、勝手に自分を下に置いて、それを見返そうといらん努力に躍起になって、うまくいかないからヤケになって、みたいなね!グエー!

今になってみれば、なんで一方的に人を下に見てくるやつらのことなんて気にしていたのだろうな……。努力は自分のためにコツコツ楽しんでやったほうがよいのや……。

ぱぷりこさんの元記事は一見キラキラ女子を下に見ているようでいて実は悲しくこじれてしまったキラキラ女子を助けようとしているのが伝わってきて……これはもしや女神……(野暮)

 

なんか四方八方に思考がエビチリもうしましたが最後に。

私の知人に、公認会計士になりながらも20代前半の若さで自殺してしまった人がいます。

その人の父親は、東大に入れなかった息子を罵倒し、公認会計士になったあとも「お前はその程度か」と、すべて自分の基準で考えてずっと下に見ていたそうです。知人は見返そうと必死に働いて、容量オーバーをして、倒れられたならばよかったものをこれ以上落ちぶれて生きたくないという思いから命を絶ったそうです。

今になってみれば、知人は一番大切なものをもらえなかったのだなとわかります。

 

いつか運良く子供がうまれたら、愛について一緒に考えたいなー。