モャッパ!

生きにくいよを生きやすく

シェイプオブウォーターと脱女性性/脱男性性

 

※ ネタバレを含みます ※

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

マイノリティのためのラブストーリーだ!と思って見に行ったら、わりとがっつり脱女性性と脱男性性の話でした。

 

デル・トロ監督の作品は、「パンズラビリンス」と「パシフィックリム」と「クリムゾンピーク」くらいしか見たことがなかったのですが、本作「シェイプオブウォーター」は、監督の得意技「現実を寓話に落とし込む」がぴったりハマっていて、素直に「ああいいなー!いいなー!」と思える映画でした。水没する姿って美しいよね。

 

お話自体はシンプルで、ある研究所に持ち込まれた魚人のような生き物と、口のきけない清掃員の女性・イライザが恋に落ちる、というもの。

 

周囲から「口のきけない人間」として見られてばかりのイライザは、同じように口のきけない魚人に「彼はありのままの姿を見てくれる」と感じて、心惹かれていくように。

欠けていると感じる部分を埋めてくれる人と出会えた、というのが二人の恋愛のはじまりだ。

 

ちょっと前まで自立したヒロインというのは、セックスアンドザシティのように「自分の問題は王子様に解決してもらわないで自分で解決する。そして社会的に成功をつかむ」というタイプが多かった。そうして邁進していく姿に男性が自然と惚れて、恋愛に発展するようなものが多い。

最近では、モアナのように、「自分の夢を持ち、男性を王子様ではなくよき相棒として互いに成長する」タイプもある。

そしてシェイプオブウォーターでは、立場も弱いしできることも少ないけど異物として排除されかけている男性を救おうとがんばる、いわば「へっぽこヒロイン」というモデルがでてきた。

イライザは、その性欲も、自分に欠けているところがあるというコンプレックスも、ばっちり観客に見られる。言ってしまえば特にかっこよくない。愛する魚人に対しては超アクティブでセックスも自分からしかけるけれど、隣人のゲイの老人や黒人女性に助けてもらわなければ彼を逃すこともできない。あと仕事にいつも遅刻ギリギリ。

口のきけない彼女は「助けてもらわなければどうにもならない」存在だ。

けれど、だからこそ身動きのとれない魚人の彼を助けたいと思った。いわば、弱者だからこそ、似た存在の彼を助けようと思えたといえる。

この映画は「弱者」「マイノリティ」と「周囲と助け合って生きること」を肯定している。

 

その逆の象徴となるのが、敵役のストリックランドだ。

彼は極秘研究所に送られた軍人で、魚人の警備をまかされている。

都心に近い大きな家を買い、ふわふわにカールした金髪の妻と、二人の子供がいる。さらに成功の象徴でもある緑のキャデラックも買う。理想的な家庭の中にいる彼は、「強い男」として何も語れない魚人を虐げ、口のきけないイライザにも搾取の目を向ける。声のあげられないマイノリティを虐げるマジョリティだ。

しかし彼は魚人に逃げられ、上司に責任を問われ追い詰められる。そして次のようなことをいう。

「いつまでまともだと証明し続けなければいけない」

それに対し上司は

「失敗をするような人間はまともとは言えない。早くまともになれ」

進退窮まったストリックランドは死にものぐるいで魚人を追うも、指すら失い、最後には破滅する。

これはまさに「男性性に囚われた者」の末路だろう。

 

一方、魚人は物語の最後で、イライザについた首の傷をエラにする。彼女の消せない傷をともにいるための特別なものにしてくれる。そうして彼女は海の中で愛する者との幸せを手にいれる。

 

眠くなってきたのでさくっとまとめよう……。

 

シェイプオブウォーターは、「女性は一人でも生きられる!」という段階はもうすでに通り越していて、「女性・男性関係なく、誰かと助け合えば欠けていて不自由でも愛する人を救えるし、足りない部分を補いあえる。強い人間やマジョリティにならなくてもいいんだよ」というメッセージを送っている。

また男性についてはそれに加え、「既存の男性性(社会的強者の地位)に無理にしがみつくことは悲劇をうむ」という意味をこめている。

正直、ストリックランドのように生きることを正しいと思う男性/女性は現代にもまだまだ多そうで、なかなか闇が深い。適応障害を発症させるほうが「弱い」なんて言われてしまうんだろうな。失敗の許されない人生なんて、恐怖以外のなにものでもないのに……。

(なんとなく、ストリックランドを見ていて、これの女版は、はあちゅうさんなんじゃないかな……と思ってしまった。どうか「成功者」という地位にしがみつがず、健やかに過ごせますように……)

この男性性教・女性性教という宗教が過去のものになることを願うばかり。

(もちろん男性性や女性性そのものが悪いわけじゃないので、それを持っている人は自分の一部として大事にしてほしい。)

 

マイノリティ全体の話でありながら、イライザという弱い女の話であり、魚人という異端の男の話でもある。全てへの救いの道を示して、二人を新しい世界へと送ったデルトロ監督のバランス感覚って、とんでもない気がする。